母と子
療育日記

言葉の遅れ

~気付いた頃のこと~

我が家の二人目として生まれた娘が、言葉が遅いかも?と思ってから発達検査を受けるまでのことを、思い出しながら書きます。

大人しくて扱いやすい子

娘が生まれた時、上の子はすでに幼稚園の年長さんでした。
この頃にガラリと気候の違う地域へと引越すことになりました。

わたしの頭の中は、上の子の幼稚園探しで頭がいっぱいでした。
当時住んでいる地域から、引越し先の地域はかなり遠く、幼稚園の下見はおろか住む部屋を探すのも現地に行くわけにはいかず、インターネットを駆使して部屋も幼稚園も決めました。

引越してすぐに、決めた幼稚園に見学に行ってそのまま入園。
この頃娘は生後6か月の赤ちゃんで、いつも抱っこであちこちとで歩いていました。
決めた幼稚園は保護者の活動の盛んな幼稚園で、度々保護者の集まりが開かれていましたが、娘は抱っこされていればご機嫌で、トイレのときなど他のお母さんに見守りをお願いしても、泣くこともなく、ただただ、助けられました。

当時はそんな風に、一緒に出掛けることがとてもスムーズで、穏やかな「扱いやすい子」だと思っていました。

1歳半頃 言葉が増えない?

上の子が年長さんになって、いよいよ卒園の年になりました。
保護者の集まりも、最後の卒園お別れ会に向けて忙しくなりました。
依然として大人しくて、集まりに連れて行っても困ることはなく、なんていい子なの、と周りのお母さんからもよく言われました。

ですが、1歳半頃になって、「マンマ」「チャチャ」程度の2~3語話すようになっていたものの、そこから言葉が増えることはありませんでした。

ちょうど1歳半の健診を迎えたので、保健師さんの相談を受けることにしました。

その時の担当の保健師さんは、娘の様子を見ながら簡単な発達チェックのようなものをして下さり、明らかな問題はなさそうですよ、と言ってくれました。
上の子が、娘のことをいっぱい可愛がってくれていて、何をするのも上の子が先回りをしてわたしに伝えたりお世話をしてくれたりしていました。

言葉が出ているわけだし、兄弟の微笑ましい環境のおかげで少し遅れているけれど、恐らくは大丈夫ですよ、と言われて、心の底からほっとして帰宅したのを、今でもよく覚えています。

2歳頃 やっぱり言葉が増えない

そうこうしているうちに、2歳になりました。
上の子が通っていた幼稚園の2歳児クラスに、週に3回程度午前中だけ通うことに。

今まで幾度となく一緒に行ったことにある場所ですし、わたし自身全く心配などしませんでした。
きっと、泣くこともなく、先生と楽しく遊んで帰ってくる、そんな毎日を想像していました。

その安心感とは別に、1歳半の相談の時からあまり言葉が増えていないこと、二語文が出る兆しが見えないことに不安はありました。

そこで2歳を迎えてから、相談に行った保健センターに、再度相談の予約を取ることにしました。

この時、すでに2歳を迎えていたため、出ている単語数も少ないことや2語文が出ていないこと、少し気になりますね、ということで、自治体が主催の親子教室を紹介されました。
ですが、親子教室は定員いっぱいの状態ですぐには入れませんでした。
わたし自身も、幼稚園にも行ってることだし、集団生活で言葉が育つことを期待して、あまり真剣には捉えていなかったのかもしれません。

2歳後半 幼稚園から検査を勧められる

通っていた幼稚園の2歳児クラスは、12月で終了します。
半年以上通った2歳児クラスを終えるとき、娘をよく見てくださった先生から受診を勧められました。

それは、言葉が遅いことに対して、というより、集団に馴染むのが遅すぎる、ということでした。
いつまでも先生のお膝の上から離れられず、集団での手遊びやお遊戯などにほとんど参加ができなかった、という理由でした。
お世話になっていた幼稚園では、発達に困難のあるお子さんも多数受け入れていたので、先生の見立てはある程度正しいのだと思いつつも、受け入れられない自分がいました。
そんなことない、そんなはずない、わたしの同級生にも幼稚園でずっと先生と離れられない友達がいたけど、立派に大人になってるし。

あんなに色々と自ら相談に行っていたけれど、結局それは問題を否定してほしかったのだと、後からですが思います。
問題ないですよ、という言葉が欲しかったんです。

発達検査は受けないことに

結果的に、この時期に発達検査は受けませんでした。
夫ともよく話し合いましたが、恐らく発達検査を受けても明確なことは分からない、と思ったからです。

この頃、もう嫌というほどインターネットで検索しました。
「言葉」「遅い」「発達障害」みたいなキーワードで、たくさんのページを見ました。
その中で、主な発達障害の特徴を調べては、我が子と当てはまらないものを探し、それを発達検査を受けない理由として、この子は違うんだ、と思う根拠として、ひたすら検索しました。

今から思う事ですが、この時の判断はあながち間違ってはいないように思います。
それは娘のように、知的障害だった場合、年齢が小さければ周囲のお友達との「発達差」も小さいため、診断に結びついてはいなかったように思います。

小集団療育のため受給者証を取得

それでも、心にはいつも発達に対する不安がありました。
自宅に娘の様子を見に来てくれた保健師さん(もしかしたら相談支援員の方だったのかもしれません)に、年齢の小さい内から、質の良い療育を受けることはすごく意味のあることだから、習い事だと思って療育を始めてみたら?と言われました。

12月で幼稚園の2歳児クラスも終わることだし、どこか行く場所があったほうが良いのかと思い、まずは受給者証を取得して勧められた療育機関に通う事にしました。

小集団療育とお勉強療育

自治体の親子教室に空きがなく、通えなかったこともあり、別の小集団療育に通う事になりました。

親子で通っておやつを食べて、自由に遊ぶ。
自治体の親子教室と似通った場所でした。

一緒に通う事で、娘が集団でどのように過ごすのかを、目の当たりにすることになります。
みんなと一緒におやつが食べられない、
他の子が遊んでいると、その場にいられない、
そして話さない。

この頃から場面緘黙の症状が少し出ていたのかもしれません。
話せる単語数も少なかったですが、「あー」とか「んー」とか、くらいの声しか聞けず、話せるはずの単語も、今から思えば聞くことはできませんでした。

もう一つ、「すごく良いから」と勧められて通う事になった療育がありました。
見学に行って、わたしはびっくりというか、戸惑ったというか、なのですが、

  • 登所したら自分の名札を自分でホワイトボードに貼る
  • 個別の課題をこなす(かずの課題や手先の訓練など)
  • おやつは「下さい」と言わないともらえない
  • おやつの食器の片づけも自分で

などなど、今から思えばそれはもう頼もしい療育機関なのですが、当時のわたしは「こんなこと娘はできない」とか「ザ・訓練」のような様子を見て、正直戸惑ってしまいました。
もっと自由に、もっとのびのびと育ててやってほしいのに・・・なんて思っていました。

ですが、この療育機関での取り組みのほとんどは、身辺自立や手先の訓練、コミュニケーションなど、発達を評価する項目に沿って実施されていたのです。
このことに、もっと早くわたしに理解があれば、もっと前向きに療育に通えたのに、と今更ながらに思います。

療育が必要な子どもには、定型発達のお子さんが自然と身に付けるようなことをもっと丁寧に、もっと細かくステップを分けて(スモールステップ、と言われるものです)教えてあげる必要があり、それこそが療育なのです。

年齢が小さければ小さいほど、療育の効果が期待できるのも、そこに理由があります。
新しい習慣や取り組みを、それに関わる最初から「療育」することで、回り道なしで習得できるんですね。

でも療育に通い始めのころ、診断が付く前の頃は、親にとっても初めての世界。
それに心が追い付いていない時期でもあります。
療育の本質を見抜き、感情を一旦閉ざして目的に向かって進めるほどの精神力は、当時のわたしにはありませんでした。

そしてまた引越

年度が明けるといよいよ3歳児クラスのスタートです。
正式に入園するべく、面接をクリアし、これから!という時に、まさかの引越が決まりました。

上の子は1年生を無事に終え、親友もできて、生活が楽しくなってきた矢先のことで、当初は子どもたちとわたしの3人はここに残る!と決めていました。

3歳って、言葉の発達が爆発的に増える時期、と言われていて、そんな大事な時期に、療育にも通い始めていたこともあって、引越なんてありえない。
そう思っていましたが、子どもたちはお父さんが大好き。
離れるなんて、そっちの方がありえない、という運びになり、今の場所に引越してきました。

この時も、住んでいた地域と引越し先の地域はかなり遠く、現地を訪れることなく住む家と幼稚園を決めました。

幼稚園は、引越前に子育て支援センターに連絡を取って、この先どういう診断が下りても通い続けることができる幼稚園を、何か所か教えてもらいました。
幼稚園によっては、診断が下りると退園を余儀なくされることもある、と聞いていたからです。

安心して通えるように、直接電話でお話をして、娘の今の状態などをつぶさに伝えました。
電話で対応して下さった、園長先生の温かいお心遣いと親身に話を聞いてくださるお人柄を確信し、引越に臨みました。

食事も摂れない引越直後

娘は3歳になる直前でした。
依然として言葉はあまり増えていないものの、引越の時の長時間の移動も、借りの宿泊も、特別困ることなく新天地へやってきました。

引越作業が終わり、荷物の片づけの傍ら上の子の学校へ手続きに行ったり、順調に進んでいるように思っていましたが、新しい住まいとなる家での生活が始まってから、娘は「食べる」ことをしなくなりました。

食事はもちろん、おやつも食べず、唯一口にしてくれたのが野菜ジュースでした。
機嫌は悪くないものの、「食べる」となると何もかもだめで、もう本当に心配しましたし、困りました。
野菜ジュースだけが命綱、切らさないように必死で工面しました。

そんな中、お電話で入園を仮決めしていた幼稚園に見学というより契約に行きました。
実は食事が全然摂れていなくて・・とお話しすると、家に居ても落ち着かないなら、気分転換がてら登園なさったら?とお声がけいただき、予定よりも少し早く入園することに。

結果的にはこれが正解で、登園し始めて間もなく、食事も摂れるようになりました。
そして新しい環境で満3歳クラスが始まりました。

言葉の遅れ、やっぱり気になります

3歳児クラスも2学期が終わろうとしていた頃、
園長先生から「一度発達検査を受けてみては?」と言われました。

この頃にはもう3歳も半ば、一向に2語文はおろか単語の数も伸び幅が少ないことに、わたしも「やっぱり・・」と思う気持ちが強くなってきました。

発達検査は連絡してから予約が取れるまで、時間がかかることが多いのですが、勧めてもらった(後に通う事になる)大規模療育機関で発達検査の予約を取りました。

発達検査を受けた時のことは、「療育日記」カテゴリに今後追加する予定です。

今になって思う事

ここまで来るのに、言葉の遅れに気付いてから2年ほど経っていたのですね。
今から思う事ですが、この2年間が精神的に一番辛かったように思います。
発達検査を受けて診断が下りるまでは、
発達に遅れがあるかもしれない、
いやそんなことはない、
と自分の感情が期待と現実の狭間で、振り子のように激しく揺れ動いており、娘の一挙手一投足に安心してみたり不安になってみたり。

もちろんこの先、診断が下りてそれを受け止めるのにも、かなり時間もかかりましたし、落ち込んで泣いたこともありました。
ですが、「どうかわからない」状況ほど、期待と現実のギャップが大きいものだと改めて思います。

ここまでのこと、そして診断が下りてからのこと、
それらを経験してこそ言えることかもしれませんが、発達検査は受けようかな、と思ったら、受けた方が良い。そう思います。

問題がないなら、それは喜ばしいことですし、
たとえ問題があったとしても、それはその子が発達する上のスタートラインに過ぎないと思うからです。

何に困難があるのかが分かれば、どうすれば困難に立ち向かえるのかが分かる。
一番怖いのは、問題を見過ごすことだと思います。

療育に関わっているとよく言われる言葉の中に、
「困った子は困っている子」
というのがあります。

周りから見れば困った行動をする子に映るかもしれませんが、本当は本人が一番困っているのだ、という意味です。

子どもはいずれ大人になります。
その発達過程で、もし第3者から見て躓きそうな石があったとして、子どものうちなら石をどけてあげることもできます。
でも、大人になって誰も石をどけてくれなくなったら、その石を上手く避ける術を、本人が知っているのと知らないのとでは、大きな違いが出てくると思います。

療育に通って、発達の困難と向き合うということは、
いずれ大人になっていく子どもが、
自らの力で石を避けたり、その石を小さくすることだと、わたしは思います。

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