療育っ子の苦手
人の名前をなかなか覚えません
我が家の娘は、場面緘黙症と知的障害を持つ小学2年生の女の子です。
言葉の発達、特に発語面や発音に苦手があって、まだまだ成長途中の娘ですが、人の名前をなかなか覚えて帰ってこないことが気になっていました。
でも仲の良い友達の名前はちゃんと覚えています。
そして担任の先生の名前もちゃんと覚えています。
確かに発音の面から、
言いやすい音の名前と、
ちょっと続けて発音しにくい音の名前があります。
最近まで、原因がこれだけかと思っていました。
ところが先日の学校との個人懇談で先生に聞いてみると、新たな見解が。
「自分に深く関わりがある人かどうか」
なんか文字にすると、当たり前のような気がしますが、
この「深い関わり」というのが、一般的なものよりもっと深いのです。
娘が通う特別支援学校には、担任の先生のほかにも色んな先生がサポートに入ってくれます。
でも娘にとっては、担任の先生こそ、
自分がもっとも深く関わるべき先生であって、
自分を一番分かってくれている先生だという強い信頼関係がある先生。
だから担任の先生を呼ぶときは、
「○○先生~」
ちゃんと名前付きで呼びます。
それ以外の先生は誰であっても
「先生」
わざわざ名前を呼ばなくても、近くにいる先生は気付いてくれます。
でも他でもない、担任の先生に呼びかけたい、という意思が隠れているんですね!
先日気付いたのですが、名前を覚えていないわけではなかった例もありました。
「先生、先生」
と呼びかけるも、なかなか気づいてもらえない。
そこで「○△先生!」と呼びかけたと言います。
すらりと自然と口から出てくるわけではないけど、覚えていないわけでもなかった。
以前、療育マンガ劇場で、
場面緘黙症の娘は、自分に関係のない人はイモにでもみえるんだろうか?というのを投稿したことがあります。
療育マンガ劇場 第9話
「かんもくスイッチ」
自分に関係のない人はイモに見えていたとして(笑)、
自分に関係があっても、個別に識別する優先枠のようなものに入らなければ、名前を覚えるという意識が働きにくいのだと思いました。
もともと何か物事を覚えるということ自体が苦手。
だから自分が必要としてる度合いとか、
自分の興味の強さとか、
そんなものが関係しているみたいです。
だから文字の学習でも、
娘が好きなもの、例えば動物とか果物などの名前、
仲良しのお友達の名前からスタートすると入りやすいということですね!
これは年齢の小さな子のひらがな学習にも共通するポイントかもしれません。
人の名前については、
これから娘の世界が広がって、
もっと色んな人と関わりたい、
もっと色んな場所で自分らしくいたい、
そう思って成長すれば、きっと名前を覚えたい人がたくさん現れます。
今学校では嬉しいことに、
クラスから学年へと活動を広げても、
場面緘黙症の症状が和らいで、声を発することができる相手が増えてきています。
この調子で、楽しく人と関わる経験を積んでいってほしいと思います。