療育っ子の気持ち
我が家の療育っ子は、知的障害と場面緘黙症を持つ小学2年生の女の子です。
今年の夏休みは、昨年以上にコロナの影響と異例の秋雨前線の影響で、外出がほとんどできませんでした。
昨年も新学期早々2ヵ月に及ぶ休校の代償で、夏休みは2週間もなかったのですが、今年は長い夏休みなのに、コロナと雨という足止めをくらい、細々としたものになってしまいました。
そんな中で見つけた親子の楽しみ、それは「マンガ」!
親子と言っても、療育っ子はまだマンガを読めないので、マンガを読むのは中学1年生の上の子とわたし。
最近追加したTSUTAYAのアプリ、これが優秀なんですよね~
今更感が拭えませんが、数年前までレンタルするために1年間で100円の登録料がかかっていましたよね。
そしてもう何年もDVDをレンタルするなんてことがなかったので、当然期限切れになっていたところ、このアプリをダウンロードしたというわけです。
アプリなら登録料もかからないし、クーポンもいっぱい♪
そんなわけで、人生初のコミックレンタルをしてみたところ、見事にはまってしまいまして。
隙あらばマンガに手を出す夏休みだったのですが、そのマンガから療育っ子の気持ちを改めて気付かされることになったのです。
読んでいた漫画の本筋からは、ちょっと離れたものなのですが、こんな一場面です。
あるところに他の兄弟よりも身体が小さく生まれたカワウソがいました。
身体が小さいので、歩くのも泳ぐのもみんなより遅く、自力で魚を捕ることもできませんでした。
ある日、自力でエサが捕れないと生きていけないため、懸命に魚を捕ろうとしていたところ、川の流れに流されて海まで流されていってしまいました。
親とも兄弟とも離れてしまって、独りぼっちになった小さなカワウソが言います。
『ぼくだって、みんなと同じように泳いでエサも捕れるカワウソに生まれたかった』
『みんなが当たり前にできることが、どうしてぼくはできないのだろう』
このシーンを読んで、我が家の療育っ子と重ねずにはいられませんでした。
今は特別支援学校に通っていますが、幼稚園は一般のところに通っていました。
周りにいる子たちが当たり前のように自然とできることが、自分にはできなくて、いつもみんなの背中を後ろの方から追いかける毎日。
いつも自信なさげで、身体ばかりか存在までも小さくなっていたように思います。
そしてこの先、大人になっても周囲との差が消えることがないばかりか、どんどん差は開いていってしまう。
これが知的障害です。
幼少期、そして学齢期の今も、子どもの手を取り一歩一歩成長という階段を登っているので、小学2年生になってもいろんな所で手がかかります。
障害を持つ子の母としての大変さ、これに囚われることが多いんですよね。
でも、一番辛いのは障害を持つ子自身。
『困った子は、困っている子』
親や先生、大人が対応に困ると思う子は、その子自身が何かで困っている証拠、という意味です。
娘に障害があると分かった時点で教わった基本的なことなのに、心の隅に追いやってしまっていました。
あれもこれもしないと。
定型発達なら、今頃こんなこと、当然できるようになってるのにな。
日々の生活でフツフツと湧いてくるこんな思いに隠れてしまっていたんだな・・
カワウソくん、大事なことを思い出させてくれてありがとう。