療育っ子と参観
我が家の療育っ子は、知的障害と場面緘黙症を持つ小学2年生の女の子です。
先日、2年生になって初めての授業参観がありました。
場面緘黙症を持っているために、昔から授業参観というものが大の苦手。
保護者という普段いない人たちが、
教室に入ってくるという「いつもとは違う」環境になるからです。
今回は音楽の時間。
まあ見事に固まっていました。
授業参観の間、
案の定見事に固まる娘の様子が大きく変わったわけではないのですが、帰宅後の様子にちょっと変化がありました。
以前なら、帰宅後は
「一緒に帰りたかった」とか、そんな感想とも言えないものばかりでした。
ところが今回、
「恥ずかしくて、ちゃんとできなかった・・・」
と自分の様子を振り返って、その感想を言ったのです。
それもちょっと残念そうに。
その一言には、
自分を振り返れていること
できなくて残念だった気持ち
そして本当はちゃんとやりたかった気持ち
こんなのがギュギュっと詰まっているように思えて、
その時は会話の中でサラっと過ぎ去っていった言葉だったのが、
後からじわじわと大きくなって、心が温かくなりました。
参観の場面だけを切り取ってみたら、
なにも変わってない、なにも進歩してないと感じてしまいます。
でも見えない所で、
娘の心の中では、ちゃんと前に進んでいたんですね。
うっかりすると、そのまま聞き逃していたかもしれない言葉、
これが聞こえたわたし自身も、参観というプレッシャーから逃れられていたんだと思います。
わたしも以前は授業参観に行くのが苦手で、
娘が帰ってきたところで、感想を述べたりすることもなく、
恐らく参観の話題には触れないように、なんとなくやり過ごしていた記憶です。
授業参観に向かう足取りは重く、
行かねばならん苦行と化していました。
ですが今は、特別支援学校という環境で、
参観に来る保護者の方も、先生方も、そして子どもたちも、
みんながありのままを受け入れていくれる環境で、
わたしも参観を「楽しむ」余裕が生まれていました。
どんな風に過ごしてるかな?
どんな掲示物が飾ってあるかな?
足取りも心も軽く、学校で娘に会えるのが素直に楽しみになりました。
娘自身はまだ、授業参観そのものは苦手で、きらいなんだと思います。
でもこれも「いつもと違う」環境に慣れるチャンスの1つ。
「いつもと違う」ことって、人生においては山ほどあります。
娘の課題の1つは、
「いつもと違うから固まる」というそのハードルを、ちょっとずつ下げること。
ちょっとくらいいつもと違ったって、どうってことない、大丈夫。
そう思える経験を積むしかないんですよね。
残念だった気持ちと、やりたかった気持ちは、
「次はやってみよう」と思える燃料になると思います。
今回の授業参観で、「いつもと違う」に慣れる経験値がまた貯まったね!