発達のでこぼこ
~発達凸凹(でこぼこ)、あわせて見れば〇(まる)になる~
我が家の療育っ子は知的障害と場面緘黙症を持つ小学2年生の女の子です。
先日、久しぶりに幼稚園時代からの療育仲間であるママ友たちで集まりました。
違う学校に通っていたり、学年が違ったり、そして抱えている障害も違います。
ちょっと会わない間に、
みんなそれぞれに成長していて、話は尽きませんでした。
成長している得意なこと、
そして悩んでいる不得意なとこ、
一人一人見事に違います。
お絵描きがとっても上手な子、
数字や方向感覚に優れている子、
文字を使った意思表示が上手な子。
みんなすごいなぁ。
うちの療育っ子はまだできないものばっかりだなぁ。
我が家の療育っ子が得意なことは・・・
お友達の良い所はすんなり出てくるのに、
我が子になると、「うーん・・」と考え込んでしまいます。
子どもの困り感、そして親の困り感、
こういったものをよくよく知っている我が子では、
どうしても「できないこと」ばっかり目についてしまいます。
療育ってある意味、
この「できないこと」や「困っていること」を認識するところから始まるんですよね。
だから「できないこと」ならいくらでも挙げられます。
また、心理学で有名な「ゲシュタルトの円」
この下の2つの円、どっちが気になりますか?
大半の人は、右側の欠けている円の方に目が行きやすいと言われています。
「完全なもの」と比べて、
欠けているところ、足りないところ、
こういうものが気になってしまうのは、人間の心理の常なのだそうです。
だからこそ、意識して、
「できていること」や「あるもの」に目を向けることが大切なんだそうです。
改めて我が家の療育っ子の良い所を考えてみます。
お友達を思いやれるところ。かな。
場面緘黙症を持っているから、
積極的に誰かに何かアクションを起こすと言うこと自体難しいかもしれませんが、思いやりや優しい気持ちをたくさん持っていることを知っています。
声に出せなくても、
その優しい気持ちを周りの人が感じ取ってくれるのか、
「お友達はみんな、ポコたんウェルカムな環境ですよ!」と幼稚園の先生に言われたことがあります。
*ポコたんはニックネームです
ウェルカムな環境というのは、
遊びの中にいつでも入っておいでよ!一緒に遊ぼうよ、って思ってもらえている環境、という意味です。
得意なこと、と言えるものではないかもしれませんが、
彼女の持つ良いところ、であることに違いはありません。
そしてもう一度、
今回集まったメンバーの子どもたち4人の良い所を並べてみます。
お絵描きがとっても上手な子
数字や方向感覚に優れている子
文字を使った意思表示が上手な子
お友達を思いやれる子
この4人を1人ずつ見れば、
それぞれに不得意なことのある療育っ子たちです。
でも、この4人をチームとして見た時、
このチームで何かを創り上げようとしたら、ものすごくステキなものが出来上がりそうじゃないですか?
1人では難しいことも、
何人かで補い合ってできることがあるとしたら。
それぞれの「得意」なことを持ち寄って集めたら、
ものすんごいキレイな丸になる!
そうすれば、
それぞれの欠けているところには目が行かずに、
「あるもの=得意なこと」がフォーカスされて、
一人一人がもっと自信を持って、イキイキと行動ができるんじゃないか。
そう思ったんです。
それぞれの不得手な部分を補うツールも探しつつ、
得意なことを持ち寄って数人でチームを作るようなイメージで活躍できる場所を探せたら。
障害を持っていても、もっと身の置き方に広がりが生まれる。
こんな社会なら、障害を持っている人も持っていない人も、みんなが生きやすい世の中になるんじゃないかな。
パズルのピースと同じで、
凸凹があるからはまらないのではなく、
凸凹に合う場所を探すように、
1人の人の居場所や生き方を、俯瞰的に考えられるような社会。
みんなと同じでなくたっていい。
みんな同じ形なら、パズルはいつまでたっても完成しません。
みんな違う形だからこそ、
パズルという大作が出来上がるんですよね!