映画「夢見る小学校」観てきました
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希望あふれる「ミライの教育ドキュメンタリー」
そんな触れ込みの通り、まさにこれからの社会を生き抜く力について、深く考えさせられる内容でした。
ドキュメンタリー映画で、泣く予定はなかったのですが・・
映画に登場する「大人」たち、
それは学校を支え運営する方々や、脳科学者の茂木先生、教育評論家の尾木先生をはじめとする専門家の方々が訴える想いと、
不登校になってから、
我が家の長男が口にしていた、学校生活で感じていた数々の苦しみが、ピタリとリンクして・・
長男の生きる環境に、こんな選択肢があったなら・・
そう思うと、涙がこぼれました。
今を生きる子どもたちには、
「自分主体」で考え行動する自由が、
「責任を負うべき自由」と挿げ代わって捉えられていて、
大人になるまでに積んでおきたい「失敗する経験」が、本当の意味で、できていないんだなと思いました。
何かを学習したり体験したり、
そんな入れ物はたくさん用意されているけれど、
その入れ物には辿り着くべき「ゴール」も用意されていて、
そのゴールに辿り着かない道順は途中から進めなくなる・・
大多数の大人がいう失敗って、
この「ゴール」に辿り着かない道に足を踏み入れた途端に、「失敗」という。
自分の胸に手を当ててみても、
本当に失敗する前にアレコレ言って、阻止しようとしてる・・反省・・
でも本当の失敗って、その道順を進んだ先に、あるんじゃないかな。
そこに行きつくまでには、
時間が必要で、大人には子どもを「待つ」忍耐が必要なんですよね。
映画に出てくる1人の先生がおっしゃってました。
「子どもを待てるようになった」
それは
「子どもを本当に信じてあげられるようになった」ということだって。
自分の思った通りにやってみて、
自分が納得できないゴールに辿り着いたら失敗なのであって、
思ったのと違うゴールであっても、
そのゴールに意味が見つかれば、思いもよらぬ成功となる。
そんな体験がたくさんできる学校が、「夢見る小学校」にはあふれていました。
2030年には、人間はAIに勝てなくなる。
そんな近い未来に、人間に与えられた役目は、
「AIに心を吹き込み、使いこなせる人間力」
映画の中で出てきたこの言葉に、
首を何回、縦に振っても足りないくらいの共感を覚えました。
そしてもう一つ、衝撃的だったのが、
学校には子どもを通知表で評価するという義務はない
ということです。
また、
公立学校でも、いわゆる一般的な学校とは違った「夢見る小学校」になることはできるということ。
色んなハードルが確かにありますが、
子どもの教育って・・?と、
1人でも多くの大人がもう一度考える機会を持てればいいなと思いました。
Education
英語で「教育」だと教えられていますが、
本来の意味は
「人間の内部にもともと備わっている能力を引き出す」こと。
夢見る小学校では、確かにそんな時間がゆったりと、色濃く流れていました。
本当は、長男とも一緒に観たかった・・
そんな映画でした^^
そして長男が不登校になったからこそ、
出会えた映画であり、
出会えた世界であり、
気付けた大切なこと。
不登校って、決して不幸の始まりじゃない。
そんな心の重石を一層、確かにできた一日でした^^