場面緘黙症 診断前の様子
娘の場面緘黙症について、
診断される前から、幼稚園時代の様子、初めて他人と喋ったとき・・
長い時を経て思い返せば、だんだんと症状が緩和していることに気付きました。
‣場面緘黙症について詳しくはこちら
しばらく連載の形式で、
娘の様子をまとめていきたいと思います。
さて初回は診断前の様子です。
それはまだ言葉もほとんど育っていなかった2歳頃に遡ります。
言葉もほとんど話せないのに、場面緘黙症の兆しがあったのか⁉
今振り返れば、思い当たることがたくさんあります。
それは単なる性格のようにとらえていましたが、
場面緘黙症のベースにある、「抑制的気質」というものが既に現れていたんですね。
転勤族のわたしたちは、当時今とは違う場所に住んでいました。
‣「療育年表の2歳頃」に相当します。
上の子がまだ幼稚園にいて、
娘は未就学児クラスという、週に2,3回程度
午前中に登園するクラスに在籍。
わたしとしてはとても助かっていたのですが、
登園渋りや、幼稚園で「いってらっしゃい♪」と送り出しても、
泣いて泣いて困る、なんてことはなかったんです。
上の子の幼稚園で、保護者の行事などがあるとき、
当然のように娘も連れて行って、場所に慣れていたのかな?
保護者行事のときも、泣くことなんてほとんどなくて、
お利口さんだったもんな。
そんな風に思っていたのですが・・
違う。まったく違った。
「泣けなかった」
そう、泣かないのではなく、「泣けない」状態だったのです。
これはその後、
受給者証を取得してから通い始めた、集団での療育機関にいらした、
言語療法士の先生の言葉で知ることになります。
その後転勤で今の場所に引越すことになるのですが、
この言語療法士の先生からのメッセージが、
「泣くことも大事なことだよ」
「ごはんはよく噛んで食べてね」
だったんです。
言語療法士の先生は、気付いていたと思います。
娘が泣かない理由について、
それから言葉を育てるために今できること。
それを教えてくれていたんですね。
こんな言葉をもらったときは、
わたしも場面緘黙症なんて言葉を知らなくて、
そうだよね、子どもらしく泣くことも大事だよね、
ごはん、丸のみしたらダメだよね、
この程度の認識しかありませんでした。
そしてこの言葉の本当の意味と、
当時の娘の様子に、合点がいったのが、
「場面緘黙症の診断」というきっかけだった、というわけです。
そして忘れてはならないのが、
引越直後の娘の様子です。
その時の引越も、かなり距離があって、
道中も確かに大変ではありましたが、
そのとてつもない距離移動が、なんだか旅行気分のわたしたち。
やっとのことで、目的地について、
さあ荷ほどきをして、新生活だ!という時に、
娘はごはんが食べられなくなりました。
ごはんはおろか、大好きなお菓子も受け付けなくなりました。
引越直後で、
スーパーのお惣菜やコンビニ食が続いたから?
そう思って、キッチンを稼働させて、食べられそうなものを作っても食べない。
なんで⁉
お腹は空いてるはず。
こんなに食べなかったら死んじゃうよ!
食べて。
お願いだから食べて!
そんな必死の母の様子も、
今から思えばプレッシャーですよね。
救いは野菜ジュースだけは飲んでくれていたこと。
命綱の野菜ジュースだけは切らさないように、
慣れない土地で、コンビニも遠い住まいから、
必死に野菜ジュースを買いに走りました。
これも、場面緘黙症に付随する症状の1つだったんです。
他にも、例えば家族以外の親戚と外食するときも、
娘は食べません。
当時はなんだか親戚に失礼な気がして、
娘のこんな状態がすごく嫌でした。
今でも緊張の強い場面や、
初めての環境で、「食べる」ということはとても苦手です。
この「食べられない」ことも場面緘黙症の症状の1つと認識するまでにも時間がかかりました。
場面緘黙症をもつ子にとって、
心から安心できる環境がとても大事なことだと気付いたのも、
この診断前の時期よりもっと後のことになります。