場面緘黙症について
場面緘黙症についてのページのイメージ写真に使用したのは、
「ミモザ(アカシア)」です。
ミモザの花言葉は「感受性・思いやり」です。
場面緘黙症の娘は、過度に緊張してしまう強い感受性と、相手を思いやれる優しい心を持っています。
そんな場面緘黙症の娘も、このミモザの花のように空に向かって自由に、たくさんの小さな花を咲かせられますように。
そんな想いを込めました。
ここを訪れてくださった方の心にも、ミモザの可憐な花が咲きますように。
家庭ではごく普通に話すのに、幼稚園・保育園や学校などの社会的な状況で声を出したり話したりすることができない症状 が続く状態を言います。体が思うように動かせない緘動(かんどう)という状態になることもあります。話せない場面は様々ですが、発話パターンは一定しています。場面とは「場所」「(そこにいる)人」「活動内容」の3つの要素で決まります。
かんもくネットホームページより(2022年1月現在サイトリニューアル中でアクセスできません)
*発祥要因、診断基準、症状の程度などは上記かんもくネットのホームページに詳しく掲載されています。
日本における発症率は0.2~0.5%とされており、男児より女児に多いとされています。
場面緘黙症がその定義とともに、認知されるようになったのは最近のように思います。
「話さない」のではなく、「話せない」のです。
認知されるようになったとはいえ、まだまだ広く知られているとは言えず、教育現場でも的確な対応ができていないのが現状だと思います。
場面緘黙症と診断がついてから書籍を探しましたが、当時は大きな書店に1,2冊ほどしか関連書籍がなく、情報も少ない中で娘の緘黙と向き合う事の難しさに、また幼稚園での娘の姿に心が痛くなる日々でした。
場面緘黙の症状(娘の場合)
診断は3歳時
発達が心配で、最初に受けた発達検査の時点ですでに指摘がありました。
発達検査中に、簡単な一言も発声が見られず、また検査中に動きが抑制されていたことなどで、診断されたようです。
親からの聞き取りで、発語面に遅れがあるものの、発達面での診断はこの時点では付きませんでした。
主な症状
- 家族以外、家庭以外の環境で話せない
- 集団保育の中で食事がとれない、活動参加ができない
- 発表会や参観など、普段と違う状況が極端に苦手で動けなくなる
- 嫌なことをされても泣けない
困ったこと
- 痛い思いをしても泣けない、先生に伝えられない
幼稚園から帰ってきて、指でつねられたような小さなアザをいくつもついていたことがありました。
娘に尋ねると、お友達の一人につねられたと涙ながらに話してくれました。
お友達に痛いことをされること自体は、恐らくどんな子にも一回は経験があることで、そんなやり取りのなかから、子ども同士が学んでいく過程が必要なんだと思います。
この時、幼稚園の先生に一番伝えたかったことは、「痛いことをされたこと」ではなく、「痛い思いをしているのに、声を上げられないこと・泣けないこと」に気付いてあげてほしい、ということでした。
本当は泣きたいのに、痛いって言いたいのに、それができない状況を想像するだけで、もうわたしが泣きたくなるような深い傷になったことを今でもはっきりと覚えています。
- 本当はやりたいのに、体が動かずできない
これは本当に多く、今でもよくあります。
娘を見ていると、「うまくできる」自信が確実に持てないと、「やらない」もしくは「やれない」選択肢を取るようです。
見ているだけでもどかしくて、「できるはずなのに」、「やってみたらいいのに」と心がざわざわとしてしまいます。
本人にとっても、本当はやりたかったのに、という悔しさを後になってから(家に帰ってから)泣いて暴れて表現することもありました。
『だったらやってみればよかったじゃない!』と一緒に泣いたこともありました。
一番つらいのは、きっと本人。
周りなんか気にすることなく、子どもらしく、やりたいと思ったことを思いっきりできるような、そんな日が早く訪れてほしい、切に思います。
- 言葉の学習などがとてもやりにくい
家族以外と話せないので、今の娘の発語能力を先生が推し量ることがとても難しいのです。
発音にもまだ苦手があり、うまく発音できない単語や、文の組み立て方など、話してくれたら何気ない会話の中で発語段階を評価することができます。
また、発達検査や知能検査など、本人からの発語が必須なものもあります。
「能力的に言えない」のか、「緘黙で言えない」のか、線引きができないということです。
発語ができないというのは、言葉を覚えたり学習したりする上で、とても大きなハンデになっています。
ひらがなの学習においても、発語できないために、定着している文字と定着していない文字が分かってもらいにくいのです。
発語がないと、どうしても選択肢を用意して選んで答える場面が多いのですが、選択肢があって分かることと、選択肢がなくても分かることとは同義ではないのです。
- あいさつができない
あいさつの言葉を知らないわけではないのです。
「あいさつする」ことができないのです。
幼稚園の先生でも、あいさつ(当時は言葉の代わりにハイタッチ)できる先生とできない先生がいて、できる先生もとても限定的でした。
ましてやご近所の方とは一切できません。
今はまだ小さいので、「あら?恥ずかしいの~」と言ってくださいます。
ですが、これから大きくなっていく上で、声を出せなくても、頭を下げることだけでもできるようになる必要があると思っています。
声が出せなくても、それ以外の方法で、それに準ずることをしていくことの大切さを、今後学んで身に付けていく必要があると強く思います。
- トラブルがあったとき
何か不測の事態に陥たっとき、声が出せないとしたら。
今はまだ誰か必ず支援者が近くにいます。
学校の先生、事業所のスタッフ、親、兄弟。
まだこういう場面に遭遇してはいませんが、今後、何かトラブルが起きた時(災害や事故など)、まずは助けを呼ばないといけないような場面に遭遇した時。
こんな時のことを想像するのは、本当に肝の冷える思いです。
療育手帳の交付の時、ヘルプカード*をもらいました。
今後もっと成長して、なお緘黙症状が残っているときには、今はわたしが持ち歩いているこのヘルプカードを、本人がうまく使えるように練習が必要だと思っています。
*ヘルプカード
自治体が配布している、見た目で分かりにくい障害を持つ方が、どんな介助や配慮を必要としているのかを知らせるためのカードです。
様式は自治体によって様々なようです。
見過ごされがちな場面緘黙児
場面緘黙の症状には、個人差がありますが、往々にして「大人しい」というイメージを持たれがちです。
「大人しい」わけではなく、「声を上げられない」状況なだけで、本当はとても本人は困っていることが多いのです。
学校生活で求められる「注意を惹く力」
とりわけ人数の多い学校などでは、いい意味でも悪い意味でも「目立つ」こと、言い換えれば先生の「注意を惹く」ことが集団生活で自分を見てもらうために求められます。
この段階で、場面緘黙児にとってはとてもハードルが高いことなんです。
困ったときに、相談できる先生、理解してくれる大人、味方になってくれる友達の存在が、場面緘黙児にとっての安全基地です。
この安全基地を、一つでも多く作っていけるような工夫を、親だけではなく先生方にも協力してほしいと強く思います。
教育現場の現状
昨今の教育現場では、普通学級においてもある種の支援が必要なお子さんが一定数います。
出席した講習会では平均して1クラスに4~5名の割合で、支援が必要なお子さんがいる、というデータが出ていると聞きました。
そんな中で、大人しくて目立たない場面緘黙児は、どうしても見過ごされがちなんです。
多忙な先生方、多様性のあるクラス、条件が揃っているとはいえない現状で、いかに必要な支援を得るか、これに携わるのはとても骨の折れる作業だと思います。
思うように物事は運ばないことが多いですが、一人ずつ理解者を増やしていく、今はこれしかできないと思いながら、機会を見つけて娘の緘黙症状について伝えるようにしています。
先にご紹介したかんもくネットには、学校や先生、クラスメイトに向けた啓発資料も自由にダウンロードして使えるようになっています。
ご参考まで。
希望の光
娘が場面緘黙の診断を受けて、一番最初に購入した書籍、
「わたしはかんもくガール」の著者、らせんゆむさんは、実際に場面緘黙症を克服した方で、わたしたちにとって希望の光となっています。
著書では、実際の緘黙の症状や克服までの道のりが、コミカルに読みやすく書かれており、勇気をもらいました。
我が家では、本を見つけたお兄ちゃんも読んでくれて、身近な理解者に心が温まった記憶があります。
1人でも多くの方が、場面緘黙症について知り、理解をしてくれることこそ、大きな力になると思います。
場面緘黙症に限らず、様々な困難を抱える人たちが理解され、安心して暮らせる、そんな懐の深い社会になればいいなと思います。