不登校 脱却までの道のり⑥
前回の投稿より2週間以上経ってしまいました。
そして3学期も残すところあと1日・・
ほんとに早いです。
3月に入って、不安定になっていた長男、
三連休の最終日、とうとう1日何も食べずに過ごし、
久しぶりに心がゾワゾワしました。
その少し前から、1日1食程度になっていたのを知っていました。
食欲ないんだよね、と言ってたことも。
1日くらい食べなくても大丈夫だけど、
やっぱり心配で。
連休明けのお昼頃、アンパンを持って部屋に行ってみました。
部屋に食事を運ぶのは、
ずっと抵抗があってイヤだったんですが、そんなこと言ってられんなって。
食事ってアンパンですが・・w
がっつり食事より、スナック感覚で摘まめるもののほうがいいかと思ったから・・
少し声を掛けて、下の子のお迎えに出かけました。
下の子の「アイス買って!」攻撃に負けて、
アイスを買って帰宅。
すると、わたしが持って行ったアンパン片手に長男がリビングに降りてきました!
「なんか食べる」
なんか久しぶりに温かい食事を、手渡すことができました。
ずっと深夜に1人で食べてたから。
しっかり食べてました♪
その後も夕飯の支度が遅れてしまうほど、
リビングで下の子も一緒に楽しく過ごしました。
ほんとに、いつぶりだろう?
下の子は久しぶりにお兄ちゃんと関われて興奮気味で厄介でしたが笑、とても良い時間♪
でもカレンダーを見ながらポツリ
「明日終業式か・・」
重いよねぇ、重い事実。
3月の不調は、ほんとにこの一言に凝縮されてるなと思いました。
最近思うことがあります。
なんで学校に行けないことが、こんなにも罪悪感を生むのかなって。
不登校って、日本特有の現象だと言います。
それはなぜか?
こんなことを聞いたことがあります。
子育てに関する一冊の本があります その本に書かれている内容と 我が子の状態が違っているとき 海外では 「この本はうちの子には適していない」 と別の本を探します でも日本では 「この本通りにならない我が子がおかしい」 と子どもを本の通りに育てようと 悩みが膨らんでしまう
海外って一括りにしているし、
どこまで事実を表しているのかはハテナ?ですが、
個人的にはこの違い、すごく納得できたんです。
子どもを環境に合わせようとする場面が多いですよね。
子どもの発達でもそう。
「周りと同じこと」を基準に判断されちゃう。
型はめブロックだったら、そんなことしないですよね。
ブロックという個に合う場所を探します。
どうして不登校が日本特有なのか、
それは型に合わない個を、良しとしない風潮があって、
個に合う型を探すこと自体、なんだか後ろめたい。
そんなものが
確実にわたしたちの心の中に沁みついているように思います。
長男も例外ではない。
学校という型に合わなかった自分を、
いつまでも責め続けているから、しんどいんだよね。
でもさ
この広い世界の、
たった一つの学校に合わなかった、その時の自分がいるだけ。
環境は変えられるし、
自分だって変わっていくよ。
早く新学期が始まらないかな~!