今週も欠席です
先週、学校との面談のあと、大きな波乱がありました。
そもそも本人と話し合った結果ではあるけど、いざ大量の課題プリントや教科書類を目の当たりにして、その量の多さと欠席していたことの重みを、感じてしまったようで。
さらに、一番提出までの期限が短かった家庭科の課題を、わたしがやる気満々で「さぁ、これをやって出そう!」みたいにグイグイ迫ったのが見事に裏目にでてしまい、心を閉ざされてしまいました・・
「なんでそんなに急かすん⁈」
「もうほっといて!」
「部屋から出ていって!」
そういって口も聞いてくれず、ごはんも食べてくれず。
グサグサと破壊力のある言葉と、今まで見たこともないような鋭い目つきと、痛々しい姿に、パリーンと自分の心が壊れる音を聞いた気がしました。
だって、学校の課題についてはそういう話になってたじゃん・・
頭で分かっていても、いざ目の前に見える形でタスクが積まれたら、ただでさえ弱った心じゃ耐えられないよね。
冷静にこうやってパソコンに向かえるようになるまで、たくさんの涙と、すぐに駆けつけてくれた姉という大きな存在なしには無理だったと思います。
今まで誰かに電話で話したくても、静かに話せる自信もなく、きっと話始めたら声を上げて泣いてしまうのが分かっていたから、それを聞かれたくなくて、ずっとずっと我慢してた。
でも、それでは煮詰まるばかりで良いことなんて1つもなかった。
ちゃんと支えてくれる人に、SOSを出す、これはわたし自身にも必要だったんだなと改めて思いました。
支えてくれる人がいることは、本当に幸せなこと。
一人じゃないって、本当にありがたいこと。
今度はこれを、長男に実感してもらいたい。
「1人でいる方が落ち着くんだよ」
あの子はそういうけど、わたしには1人でもがき苦しんでるように見える。
欠席して休むってことは、回復するため。
それは必ずしも学校に戻るためではなく、心が元気を取り戻して、休んでよかったって思えるために。
学校に行かなくてもいい、ただ元気に欠席してほしい。
なんか変な言い方だけど、せっかく欠席するんだから、自分にとって良い過ごし方をしてほしい。
ただダラダラと心の赴くままに過ごしているだけでは、ふと我に返ったときに、欠席してるという重圧にかえって耐えられなくなるように思うんです。
自分1人ではどうしようもないなら、専門家を頼るべきだし、いずれにしてもこのまま放っておいても状態が悪くなる一方だと思えてしょうがない。
今日Twitterで、正反対ともとれる記事を読みました。
1つは小学校1年から現在中学1年生になるまで、不登校だった男の子の話。
家で楽しくやっていたゲームで、海外の人と繋がっていたことで、知らない間に英語を話せるようになっていた。 どっぷりとその子のやり方に付き合った結果、 「もう大丈夫だからお母さん、仕事に行っていいよ」、と言えた今がある。
もう1つは有名な進学校の先生陣のコメント。
お母さんや親と、友達みたいな関係で育った子ほど、学校で友達付き合いに重要性を感じず、結局親が作り出している自由の中でしか生きられない、いわゆる反抗期のない子どもが増えている。 学校で困難にぶつかっても、親という安全すぎる人がいて、家という快適すぎる場所があるから、困難や問題に立ち向かうことを諦めてしまう。 そういう子たちは本物の自由である大人になってから、壁にぶつかったとき、その対処法を自分で切り開くことができない。
これ、どちらも結果論じゃないか。
どっぷり好きなことだけやらせた結果、何も掴めとれなかったら、きっと親は何してたんだって責められて終わる。
子どもに寄り添って、安全基地であろうとした結果、ほんとに自分じゃ何も決められなくなってしまったら、これまた親が過保護だったからだって責められて終わる。
実際、長男への対応は、この2つの匙加減で悩んでいたりします。
どこまでが必要な保護で、どこからが甘やかしなのか。
これはきっと長男の心理状態に合わせて、ちょっとずつ配合を変えないといけないもの。
医療の介入が必要なくらい、心が消耗していたら、もう100%甘やかして良いと思う。
でもそれはずっとではなくて、心の回復に合わせてちょっとずつ、こんな選択肢があるよ、こんなことならできるかな?って、一人じゃ見えないものを見せてあげて、時にはえい!って背中を押すことも必要になってくるのかな。
でもでもね、そのタイミングや状態の見極めが、もうほんとに綱渡りなんだよ。
タイミングが合えば救いの手、ちょっとでもずれれば地雷。
そんなギリギリのやり取りを、親は必死になってやってるんだよ。
ちょうど渦中にいるから、2つの記事を読み終えた時に、
「うちの子の何が分かるんだーー❕❕❕」って言いたくなった。
何もそんな時に、わたしも読まなきゃいいのにね。笑
今週いっぱいは、本人の希望を尊重して、なるべくそっと好きに過ごさせようと思ってます。
その後、やっぱりどうにも膠着状態なら、わたしは思春期外来に連れて行きたいと思ってる。
そのためにはやっぱり、本人と話し合う必要があって。
どんな風に話を進めようか・・・
このことばかり考えてしまうので、全然違う話題も一つ、まとめました。笑
障害を持つ子の親亡き後問題、遺言について。
なんかこっちも明るい話題じゃないけど、頭を切り替える時間になりました^^
療育っ子である娘のことを綴る目的ではじめたこのブログ、今ちょっと主旨が違うけど、ここに自分の考えていることや悩んでいることを書ける場所になっていることに、これがあって良かったなと思っています。
文章にすることで、自分の頭を整理できる思わぬ利点がありました。
そしてこのブログを読んでくれている友達がいて、励ましのメールをくれる人、一緒に泣いてくれる人、一緒になって悩んでくれる人、そのどれもが、ほんとに救いになっています。
この場を借りて、伝えきれないほどの感謝を。
ありがとう。